渡された商品コンセプトは、なぜ使えないのか|自分で悩み抜くから、使える

商品コンセプトを“渡される”と“自分で根づかせる”の違いを表す、手渡しの根のない芽と地面に深く根を張った芽の手描きイラスト
商品コンセプトを決めるとき、いちばん欲しくなるのは、はっきりした答えだと思います。誰かが「これですよ」と正しい答えを教えてくれたら、どんなに早いか。
でも僕は、コンセプトづくりを手伝うとき、自分の中に「たぶん、こっちやろな」というものがあっても、それをそのまま渡さないことが多いんです。
意地悪じゃありません。逆で、ここで僕がその答えを渡してしまうと、渡された答えは、受け取った人の中で使えなくなる。そう思っているからです。
あるものづくりの会社さんと、新しいブランドの商品コンセプトを一緒に作っていたときも、まさにそうでした。何回も打ち合わせを重ねて、方向は見えてきていた。それでも僕は、こっちから答えを言い切りませんでした。今日は、その理由を書いてみます。

渡された答えは、自分のものにならない

なぜ渡さないのか。渡された答えは、受け取った側が使えないからです。
いいコンセプトをもらったとします。「なるほど、これでいこう」と、その場では腑に落ちる。でも、いざ商品を作る段階になると、判断が次々に必要になります。この素材はアリなのか、この見せ方は違うのか。そのたびに、「うちのコンセプトに照らすと、どうなんやろう」と、自分で決めていかないといけない。
このとき、もらっただけのコンセプトだと、その判断ができないんです。
そのコンセプトにたどり着くまでの「なんでそうなのか」を、自分の中に通していないから。表面の結論だけ受け取っても、いざ応用しようとすると「で、これはどっちなん?」と止まってしまう。
打ち合わせでも、この話をしました。仮にいま僕が「御社のコンセプトはこれです」と手渡したとして、それだと、みなさんの中で運用できないですよ、と。自分たちで悩んで、ああでもないこうでもないと通ったプロセスがないと、渡されたコンセプトは、いざというときに頼りにならない。

同じ結論でも、「厚み」が変わる

おもしろいのは、最終的にたどり着くコンセプトが同じでも、そこにどう行き着いたかで、価値が変わることです。
これは、その会社さんとの打ち合わせで、実際にあったことなんです。
ブランドの一番上に置くコンセプトを探していたとき、僕がふと「たとえば、こういうのはどうですか」と、ひとつ案を出しました。あくまで、たたき台のつもりでした。そうしたら「あ、それめっちゃいいやん」と、その場でもう決まりかけたんです。
普通なら、「じゃあ、それで行きましょう」でおしまいです。早いし、丸くおさまる。
でも、そこで止めました。「それ、僕が考えた案なんで、使わないでください」って。
自分で出しておいて、変な話ですよね。でも、いま僕の案に飛びついてそのまま採用したら、それはさっきの「渡された答え」と同じで、あとで使えなくなる。そう思ったからでした。
それで、その会社さんは二週間、自分たちで考え込むことになりました。ほかにどんな道があるのか、自分たちならどう言うのか。さんざん揺れて、ぐるぐるして——二週間後、「やっぱり、あのコンセプトを使わせてください」と戻ってこられた。だから、「いいですよ」と。
たどり着いた言葉は、僕が最初に出したものと同じです。字面は一文字も変わっていない。
でも、意味がまるで違うんです。
渡されたまま使うコンセプトと、一度手放して、さんざん悩んで「やっぱりこれやな」と自分たちで選び直したコンセプト。後者には「いろんな道を通った上で、それでもこれを選んだ」という裏づけがある。だから、あとで誰かに「なんでこの言葉なの?」と聞かれても、自分の言葉で答えられます。
遠回りが、言葉の芯を太くする。あの二週間は、ムダじゃなかったんです。

「正解」は、どこかにあるという思い込み

途中で、その会社さんがふと漏らした言葉がありました。「僕ら、正解を探しちゃってたのかもしれません」と。
これ、すごく大事な気づきだと思っています。
コンセプトづくりでも商品開発でも、つい「どこかに正解があって、それを見つけ出すゲームだ」と思ってしまう。だから、正しい答えを持っていそうな人に聞きたくなるし、教えてもらえたら早い気がする。
でも、ブランドや商品の正解って、そもそも最初から存在しているものじゃないんですよね。
売れるかどうかなんて、正直、出してみないと分からない。どれだけ考えても「絶対にこれが正解」とは、誰にも言い切れない。僕自身、お客さんに何かを提案するときも、成果を保証することはできません。
できるのは、「これでいける」と自信を持って言えるだけの根拠を、一緒に作り上げることです。「売れます」と約束はできないけれど、「自分たちはここまで考えて、こういう理由でこれを選んだ」と胸を張れる状態までは、一緒に持っていけます。
逆に言えば、外に「絶対の正解」を探しにいくほど、手は止まります。あるはずのない「絶対の答え」を待っているあいだ、自分たちの芯は、いつまでも育たない。

僕が渡せるのは、答えじゃなくて「問い」

じゃあ、コンセプトづくりを手伝うとき、僕は何をしているのか。
正解を配っているわけではないです。やっているのは、視点を足したり、「それってこういうことじゃないですか」「こういう考え方もできますよ」と、考える材料を差し出すこと。決めるのは、ご本人です。
さっきの話がまさにそうでした。いい案が浮かんでも、渡さない。「なんでそれがいいのか」という根拠まで含めて、自分たちで組み立ててもらう。そこを僕が代わりに作ってしまうと、結局その人の中で使えなくなるからです。
答えを言い切ってあげるより、この方がずっと手間はかかります。渡した方が、その場は早い。
でも、早く渡した答えは、さっきの通り、その人の中で使えない。だから遠回りでも、自分で「これや」とつかんでもらうところまで、一緒に粘ります。

「使える」かどうかは、僕がいなくなった後で決まる

結局、コンセプトが「使える」かどうかは、僕がいなくなった後で決まります。
僕の関わりが終わって、横からいなくなる。そのあと、新しい判断が出てくるたびに、自分たちのコンセプトに立ち返って「うちならこうやな」と決めていけるか。そこまでいって、はじめてそのコンセプトは「使えた」ことになる。
渡しただけの答えは、渡した人がいなくなった瞬間に止まります。応用が効かないから。
自分で悩み抜いてつかんだ芯は、何度でも立ち返れる。判断のたびに効いてくる。
「渡された商品コンセプトは、なぜ使えないのか」——それは、いい・悪いの問題じゃなくて、自分の中で消化していないからです。そして「自分で悩み抜くから、使える」というのは、悩んだ分だけ、その言葉が自分の判断の物差しになるからなんですよね。

おわりに

商品コンセプトというと、つい「かっこいい一言をもらうこと」だと思いがちです。
でも本当は、もらうものじゃなくて、自分のものにするもの。遠回りに見えても、自分で悩んでたどり着いた言葉じゃないと、あとで使えないんです。
もし今、こんなところで止まっていないでしょうか。
  • コンセプトを誰かに決めてもらったのに、なぜかしっくりこない
  • いい言葉は並んだのに、いざ商品の判断になると使えない
  • 「正解」を探して、ずっと決めきれずにいる
どれも、まだ自分の中で芯が消化しきれていないときに起きやすいことです。
冒頭のものづくりの会社さんとのブランドづくりでも、まさにこの「自分で悩み抜く」を、隣で一緒に通っている最中です。答えを渡してしまえば早い場面でも、あえて渡さずに、一緒に悩む。その遠回りが、あとでいちばん効いてくると思っているからです。
僕は、商品の企画やデザインのお手伝いをするときも、社内のチームに伴走するときも、答えを配るより、自分たちの芯を一緒に掘り当てるところから始めることが多いです。もし似たような場所で止まっているなら、その整理から一緒にやれることもあると思います。よかったら、気軽に声をかけてください。

この記事は、実際の打ち合わせをもとにしていますが、お相手の会社名やブランドの内容は伏せています。